五葷と乳

菜食のルーツは
与えられた命を大切にする心にあります


古い時代から、人と動物は

互いに助け合い、共存して生きてきました。

時に自然は厳しく、食糧が常にふんだんにはない時代にも

できるだけ動物の命をとらず、

人は動物の世話をし、動物は人に乳を分け

共に暮らしてきたのです。


菜食の基本的な考え方は

他者をむやみに苦しめないことにあります。

また、他人だけでなく自分自身に対しても

むやみに傷つけることをせず

人も自分も、授かった命を大切にするという

ごく自然な心が、菜食の心です。

ベジタリアンが口にしないものとは


何を食べるか食べないかは人によりさまざまですが、次の3つがキーワードになります

1、動物、鳥類、魚介類、虫などとその卵(命をとらなければいけない動物由来のもの)
  乳やはちみつなど動物に由来するものは一切食べないビーガンもいます

2、五葷(玉ねぎや長ねぎなどのネギ類、にんにく、ニラ、らっきょう)

3、酒(みりん、酒粕、料理酒、リキュールなど)


1の動物由来のものについて、ベジタリアンは基本的に動物にむやみに苦痛を与えたくないと考えるので
肉や魚介など、直接殺生しなければとれないものは口にしません。
ただし卵は、ひなにかえらない無精卵などもあり、殺生にあたらないと考えるベジタリアンもいます。

乳、はちみつなどについては、直接殺生するものではないので、口にするベジタリアンもいますが
今日はこれらのものをとるために、生き物をむやみに殺生しなければならない状況があることから
動物由来のものをいっさい口にしないベジタリアン(ビーガン)もいます。



オリエンタル・ベジタリアンとは

今日、世界にはさまざまなタイプのベジタリアンがいますが

菜食のひとつのルーツである昔ながらのベジタリアンは肉魚卵、五葷、酒をとらず

現代ではこのベジタリアンを、オリエンタル・ベジタリアンといいます。


なぜ五葷と酒をとらないの?



五葷は、五行、五臓、五気、五徳と関連があり

内臓、身体だけでなく、精神や心、感情と密接なつながりがあります


古来から中国に伝わる自然哲学に、

私たちが生きているこの地球上に存在する万物は、

金、木、水、火、土の五つの要素でできているという

「五行」の考え方があります。


人の体では五つの臓器(五臓)が五行に対応しています。

本来五臓は互いに生かしあい(相生)、調和していますが、

その一部が崩れたり気が乱れたりすると、

互いに傷つけあう関係(相剋)となります。


五行に対応する五つの野菜を五葷といい、

これらの野菜は臭いや成分がきつく、陰性の気が強いのが特徴で

五臓に負担をかけてしまうだけでなく、精神にも影響があります。


五葷と五行の関係

ねぎ ー 腎臓 ー 智 ー 水 

   ねぎが多いと : 落ち込みやすくなり、腎臓を傷めます。

にんにく ー 心臓 ー 礼 ー 火

   にんにくが多いと : 気ままになりやすく、心臓を傷めます。

にら ー 肝臓 ー 仁 ー 木

   にらが多いと : 落ち着きがなくなり、肝臓を傷めます。

らっきょう ー 脾臓 ー 信 ー 土

   らっきょうが多いと : 慾が強くなり、脾臓を傷めます。

あさつき ー 肺臓 ー 義 ー 金

   あさつきが多いと : 怒りっぽくなり、肺臓を傷めます。



五行で大切なのは、「五徳」という

人が生まれながらにして持つ <人義礼智信> の徳にあります。

五徳は、すべての人が生来的にそなえもっている

人としての根源的な徳です。

ところが五葷は、この五徳の発揚をさまたげてしまい、気と心を不安定にし、

「病は気から」との言葉通り、病にも通じてしまうのです。


ねぎやにんにくなどは体を元気にし精力をつけると言われますが、

これは興奮剤のような成分が神経や脳を刺激し高揚させるためで、

平穏な心を保つことによって得られる根源的な活力や元気とは異なります。


古くから中国やインドを中心に生きた多くの賢者は、

人間本来の健やかさを保つために、

生類(動物類、鳥、魚、虫などの生き物)や五葷、酒類を口にしませんでした。

菜食のルーツとなったこの菜食が精進食であり、オリエンタルベジタリアン食です。


インドの伝承医学<アーユルヴェーダ>によって

心身を自然の摂理に合わせようとする、ヨーガの実践家ヨギの方々は

ねぎやにんにくなどの五葷を口にしません。

なぜなら五葷は、人間の元来持っている気を傷つけてしまう

特殊な野菜であることを知っているからです。


禅寺の門前に、「不許葷酒入山門」(葷酒、山門に入るを許さず)と

書かれているのを見かけることがありますが、

この一文は、古くから禅の修業者達が

五葷と酒類を断ってきたことを意味します。

禅寺のお坊さんが、なぜ五葷と酒を口にしてこなかったのかー。

それは、「人間とは何か」という問いに対するほんとうの答えを

身をもって諒解したいという、純粋な希望に向かうためでした。


この広い世界で、人として生まれることができる幸運は

この上なく「有り難い -なかなか得ることが難しいー」ことです。 

そして、人として生きる最大の殊勝は

自分自身を通して、人間とは本来どのような存在であるかを知ることにあります。


ですからお坊さんは、天賦の理性をくらませる酒や、

元気(生来の生き生きとした気)を損なう五葷を口にしなかったのです。


精進料理は本来、東洋のお坊さんがお寺で食べる特別な食事ではなく、

人類普遍の、基本的な日常食です。

なぜなら、健康な心と身体で、充実した人生をまっとうしたいという願いは、

東洋の人でも、西洋の人でも、また

仏教の人でも、キリスト教の人でも、

何ら変わることのない、人としてのごく自然であたりまえの

根源的な願いだからです。

現代の菜食  


昔ながらの暮らしでは

人と動物は、共に助け合いながら自然に共存していました。

牛は子牛に乳を飲ませて人にも乳を分け、人は牛を世話するという具合です。


しかし現代社会は、人が動物を産業のパーツとして扱うようになり、特殊な時代を形成しています。

動物が、命を削って人に供給することが無理強いされる今日の状況に対して疑問符が打たれ

今日、ビーガンが世界的な大流行となっています。


世界には今日でも、さまざまな暮らしや産業があり

家畜が悲惨な環境、状況で苦を強いられている状況が続いていることは事実です。

しかし一方、人と動物が平和的に共存する暮らしも世界の中には存在し

昔ながらに、動物と人が互いに助け合って生きている状況もあります。


なぜ伝統的に、また世界的に、乳をとるベジタリアンが多く存在するのか?

という理由は、このような背景があり

決して動物に対してむやみな苦痛を与えるわけではなく、また搾取するということでもなく

厳しい自然環境を、人と動物が共に生き抜いてきたという状況があります。

インバウンド対応食の考え方

宗教上の食制限とベジタリアン食


世界には様々な宗教が存在し、それぞれに食についての考え方がありますが

ベジタリアンの食事は、かなり多くの宗教上の食制限にリンクします。

上記の3種のものを使わないベジタリアンメニューやベジタリアン食品であれば

かなり多くの宗教の方にも、安心して召し上がっていただくことができます。